人と宇宙とその間

これはひとりごと

「記念撮影/BUMP OF CHICKEN」の私的歌詞解釈

 しばらく遠ざかっていたバンプに再び出合わせてくれた作品、記念撮影。ほんと名曲。

好きすぎてどうしようもなくなったから独りよがりな歌詞解釈してみた。


ざっくりいうと「中高生のころの記念写真を手に物思いにふける社会人」が解釈のテーマ(ひねりゼロ)。
ちなみに私は中学時代だと思っている。理由は「魔法」の認識具合とか将来のビジョンの明確さとかいろいろあるが、一番は自分の過去に重ねて泣けるから。こういうスタンスで進める。

 

以下、段落替えが主な歌詞引用部分。作詞者は藤原基央

 

目的や理由のざわめきからはみ出した 名付けようのない時間の場所に
紙飛行機みたいに ふらふら飛び込んで 空の色が変わるのを見ていた

世界のせわしさからふらっと距離を置けるのってモラトリアム期間ならではって感じがする、それが自然に許されるというか。
この部分を聞くと実家の近所の公園の、今にも朽ちそうな木製ベンチを思い出す。

 

遠くに聞こえた 遠吠えとブレーキ 一本のコーラを挟んで座った
好きなだけ喋って 好きなだけ黙って 曖昧なメロディー 一緒になぞった

「遠吠えとブレーキ」・・・遠くから聞こえるが見えはしない、夜、普段意識しない音、静かだから聞こえる音 と連想。瞬間の切り取り方が技巧的。
コーラ一本分の距離の二人、それと外の世界との分離感?を感じる。
理想の友人・夫婦の条件としてよく挙げられるが、黙れる関係性は素敵だと思う。
ところでバンプあるあるとして、歌は人生のメタファーというものがある(「上手に唄えなくていいさ」-ダイヤモンド 「どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に唄おう」-HAPPY 「ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う」ガラスのブルース 他)。藤原にとって、唄うことと生きること・自分の人生を歩んでいくことは同義なのかもしれない。ともかく、その視点で読むと感じられる深みもある。人生の指針が何も明確でなくて、そう遠くないうち全く違う道を歩むであろう人と、時間制限をぼんやり感じながら共に過ごすって…こう…エモいよね……。

 

やりたい事がないわけじゃないはずだったと思うけど
思い出そうとしたら 笑顔とため息のことばかり

「ないわけじゃない」「はず」「だったと思う」「けど」どんだけぼかしたいねんって笑う
実際昔考えてたことってほぼ覚えてないし理解しがたいと実感として思う。 黒歴史とかね。。
笑顔とため息、感情って記憶に深く残るし、不意に表出したりもする。 黒歴史の恥ずかしさに気づいちゃった瞬間とかね。。

 

ねえ きっと
迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
君は知っていた 僕も気付いていた 終わる魔法の中にいたこと

一番が全体的に頼りないからサビの「きっと」「と思う」からほとばしる弱そう感がやばい。全部計算の上だろうが。
ここの部分の語り手は未来(今)の僕じゃなくて過去の僕に読める。現在進行形迷子。なんとなくarrowsの迷子のほうがしっかりしてそう(適当)

そして「終わる魔法の中にいたこと」。 文字通り人を殺せるキラーフレーズ。むしろ殺しに来たな感。
学生時代って短いよね、中高とか三年ずつだもんな。そこにいるときはすごく長く感じるのに終わると一瞬だった気しかしない不思議。
将来のビジョンがどんだけぼんやりしてても自動的に卒業が来ると考えると、迷子のままでどこにでも行けるって怖い、というかあんまり嬉しくない気がする。
それにしても、ねえ、終わる魔法…終わる…魔法……(語彙力)
ついでにリリックビデオのこの部分、ずれて重なった正方形がバラみたいな花に見えるのは狙ってのことかな。花の命も短いですね、況や青春をや。

 

昨日と似たような繰り返しの普通に 少しずつこっそり時間削られた
瞬きの向こうに いろいろいくつも 見落としたり見落としたふりしたり

未来(今)の僕視点に戻って。社会人、かっきり8時間拘束だからか生活が一週間~月単位で動くからかアホみたいにすぐ時間が過ぎません?私新入社員なんですが、大学時代がすでにアラスカくらい遠い。
「見落としたり見落としたふりしたり」。はいキラーフレーズ。つらい。
ひとつずつ拾うタメ道を引き返したいのはやまやまなんですがとにかく時間(と気力体力)がない。大人になるってそういうことなのかな畜生め
リリックビデオ、「見落としたふりしたり」で映ってるカマキリが蜘蛛の巣にかかってるように見えてぞわっとする。

 

あれほど近くて だけど触れなかった 冗談と沈黙の奥の何か
ポケットには鍵と 丸めたレシートと 面倒な本音を 突っ込んで隠してた

ここ、実は友人と大して親しくなかったと解釈するのが多数派なのかなと思いつつ、正真正銘すごく大切な人だけどどんなに親しくっても触れられないこともある、と受け取っている。なんというか、親密さの度合いに関わらず、改めて大事な話をするってハードル高くない?と思っちゃう。せっかくのいい関係を不用意に壊したくないと思うのは自然なことだし、学生だったら狭い世界なのでなおさらそう。
ポケットに面倒な本音を隠す部分、リリィを彷彿とさせるなあ。青さ全開でぶちまけないところに藤原の大人になった感があるような、「僕」のリアリティがあるような。

 

固まって待ったシャッター レンズの前で並んで
とても楽しくて ずるくて あまりに眩しかった

100万回は言われてると思うけど「固まって待ったシャッター」、めっっちゃゴロがいい。katamattemattasyatta- 文字打つのすら楽しい。
改めて考えると、写真撮ってもらう時って瞬間を切り取るってより顔作って息をつめてシャッター降りるの待ってるよね。言われてみれば面白いかもしれない…相変わらず視点というか発想がすごい。
後半の解釈、「とても楽しくて」は過去の僕視点だと思う。今の僕が回想してると読んだ方が素直だけど、藤原さんなら「楽しそうで」と読ませたいならちゃんとそう表現しそうなイメージ。
で、「眩しい」と感じてるのは今の僕でしょう。普通に。
そうすると「ずるくて」は過去と今の僕の気持ちが交差しているとみると面白いと思ったり。過去の僕は終わる魔法の中にいることにある程度自覚的で、みんなが笑顔作って映る写真に少しだけフィクションの気配を感じ、かつそんな考えはいずれ忘れられ写真には綺麗な笑顔のみが残るずるさを。今の僕は孤独な日々の生活と、笑顔で写真に写った過去の自分との比較でずるさを感じているのではないかと。

 

そして今
想像じゃない未来に立って 相変わらず同じ怪我をしたよ
掌の上の 動かない景色の中から 僕らが僕を見てる

「想像じゃない未来」、最初は自分が昔想像していた(立派な、華やかな)未来ではない今を指しているのかと思って号泣したけど、繰り返し聴くうちにたぶん違うなと。後述。
「相変わらず同じ怪我」私的な話をすると、23の自分ってもっとずっと大人だと思ってたんですけど全くそんなことはない。人間関係に振り回されるし掃除はできないしクソみたいなミスして怒られるし実家が恋しくて泣いたりするし いつちゃんとした大人になれるんだろう 一生なれない気がする などと考える。
「僕らが僕を見てる」『記念写真を見る』をここまで詩的に表した言葉があるか?天才の所業。知ってた。

写真の中の自分を見ている⇔写真の中の自分に見られている という関係性の提示が絶望に近い温度感で示されているフレーズ。(伏線でもある) 確かにキラキラしてた頃の笑顔の写真とか見ると、情けない今の自分を見とがめられているかのような気持ちになるよね。卒業文集とか胸をかきむしりたくなる。

 

間奏 リリックビデオの映像だと美しい風景写真が画面のこちら側に押し寄せてきて世界が繋がったかのような、いい演出。ラ ランランランラー のもの悲しげな、民族調っぽい響きも好き。

 

目的や理由のざわめきに囲まれて 覚えて慣れて ベストを尽くして
聞こえた気がした 遠吠えとブレーキ 曖昧なメロディー 一人でなぞった

また私的な話をしますが、社会人、報告連絡相談のてんこ盛りでコミュ障は毎日吐きそうになってる。ざわめきっつーか轟音?暴風? 「ざわめきに囲まれて」でなんとなく都会のスクランブル交差点をイメージしている。田舎民なので実物はどんなだか知らないが。 そんな中「ベストを尽くして」でなぜかいつも少し救われた気持ちになる。あー藤くん見てくれているんだなって。やばいファンなので。
今の僕、そんなしんどい毎日だから、ふとかつてののんびりした時間の流れやもういない人のことが無性に懐かしく感じられるのかなとも思う。

 

言葉に直せない全てを 紙飛行機みたいに
あの時二人で見つめた レンズの中の世界へ 投げたんだ

過去の僕と今の僕が地続きになった瞬間。短いフレーズの中に藤原の掛ける魔法の全部が詰まってる。シャッターを固まって待ってたあの時の思い、不確かなそれが遥か長い時を超えて今の僕に飛び込んできた。

 

想像じゃない未来に立って 僕だけの昨日が積み重なっても
その昨日の下の 変わらない景色の中から ここまで繋がっている

記念写真を撮ったとき、思いを紙飛行機みたいに飛ばしたその先が想像の未来(漠然としている)で、写真を見返してる今こそが未来、「想像じゃない未来」なんだなあ。
一番で触れられた「変わらない景色」は胸に刺さるような、じわっと苦いものが滲むようなフレーズだったのが、ここではきれいにひっくり返されて今や力強い追い風のようだ。

 

迷子のままでも大丈夫 僕らは何処へでも行けると思う
君は笑っていた 僕だってそうだった 終わる魔法の外に向けて
今僕が居る未来に向けて

最初と比較して説得力が段違いだ笑 未来の自分と過去の自分とのエール交換のような、爽やかな読後感。魔法の終わることを知っていて、受け入れて、ちゃんと笑えた自分だからこそ言える『大丈夫』。

この曲を聴いた人はみんな、記念写真を撮ることに一つの美しい意味を見出すことができて、過去の写真を見て無駄に落ち込むことはなくなるだろう。青春時代なんて言う期限付きの魔法なんかより、一生涯続き更新され続けるこの魔法のほうがずっと素晴らしいのではないか?
鬱屈を抱えた人間を否定しないまま救い上げられる、バンプの真骨頂だなあとしみじみ思う。 いつもいつもありがとうございます。

 

 

以下雑記

 

この曲の前半では、過去と今の恣意的な比較(あの頃はよかったよね~的な)に焦点が置かれていて、それは今の世間の一般的な考え方でもあるし、かなり多くの人が息をするように楽しかったあの頃に戻りたがっている。青春は学生時代の代名詞で、儚いからこそ美しい。あの頃は将来のことなんか全然考えられなくて、でも漠然といいものだと信じていて、それに比べて今のくすんじまった自分ときたら…とまあこのように続く。

藤原はこの流れにあくまで忠実に丁寧に歌詞を紡いでいく。「終わる魔法」がそれを象徴しているように。そうやって常識の再確認のように積み上げた言葉たちを、同じ歌の中、共通したワードを駆使して鮮やかに破壊してくれる。

比較する中で断絶されてしまった過去と今を、一続きの人生として繋いでやる。前提の崩壊と再定義。私含むリスナーの認識世界が再構築される音が聞こえるようだ。大人になるから失ってしまうものなんて本当はなくて、過ぎた青春を妬む必要なんてちっともなくて、全然ダメな今の自分もちゃんと愛せるような気がしてきた。失敗寄りの人生にも優しい音楽を本当にありがとうバンプオブチキン

 

「迷子のままでも大丈夫」の歌いわけも魅力 子音のoが一番だと心許なく、か細く聞こえるのがうまいなあ 年を経て声がますますきれいに、情感深くなっていて、ただただ好き。染み渡る。

 

この曲の歌詞めっちゃ共感する、新社会人の為に書かれた曲では?作者同世代?なーんて、いや40手前のアーティストに何言うてんねんって。でもそれぐらい実感を持って生々しく響く。
しかしもっと先、今が過去になるいつかが来て、その時聴く記念撮影はどんな表情を見せてくれるのか。大人になるってそういうわくわくも秘めてるんだって教えてくれたのはやっぱり貴方たちでしたね。
ちょっと遅くなったけど、この曲にいま出会えてよかった。
重ね重ねありがとう、大好きです。